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C型肝炎治療と私 朝日新聞『患者を生きる』再掲
C型肝炎治療と私 朝日新聞『患者を生きる』再掲

治療に踏み出した患者さんの声に耳を傾けてください

朝日新聞の生活面で連載されている『患者を生きる』をご存知でしょうか。病気の患者さんやご家族の思いを描く『患者を生きる』では、C型肝炎についても取り上げられています。
C型肝炎の治癒を目指した患者さんのドキュメンタリーは、これから治療に一歩踏み出そうとする方に、ぜひ読んでいただきたい内容です。
※株式会社朝日新聞社の許諾を得て、掲載させていただいています。

~2011年

2014年~

伍代夏子の覚悟① 2人なら「乗り越えられる」

朝日新聞2016年10月3日
朝刊21ページ東京本社
©朝日新聞 無断複製転載を禁じます。
そのすべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

初座長 念のため健康診断

演歌歌手の伍代夏子(ごだいなつこ)さん(54)は、コンサートやブログの中で、呼びかけていることがある。
「肝炎の検査を受けてくださいね。ひとごとではないんですよ」
あでやかな着物姿と伸びのある歌声からは、病気を患った過去はうかがえない。だが6年前までC型肝炎の治療を受けていた。
1994年の初め。32歳だった伍代さんは、東京・歌舞伎町の新宿コマ劇場で初めての座長公演を控えていた。公演は1カ月にわたるため、「念のため」と都内の病院で健康診断を受けた。肝機能に異常が見つかり、医師から告げられた。
「肝臓にウイルスがいました。あなたはC型肝炎のキャリアー(持続感染者)です」
大きな病気をした経験はなく、信じられなかった。疲れやすい時はあったものの、忙しさのせいだと思っていた。感染経路として輸血などを説明されたが、心当たりはなかった。かつてどこかの医療機関でウイルスに汚染された器具を使われた可能性くらいしか、考えられなかった。
「私が病気なわけない」と、詳しい医師のいる病院で、肝臓の細胞を採取して調べる肝生検まで受けた。しかし、診断は覆らなかった。放っておくと、肝臓がんになりかねない病気だと知った。
C型肝炎はウイルスの遺伝子型でタイプが分かれる。伍代さんは当時治療の主流だったインターフェロンが効きにくい1型だった。

難治性でも「勝算ある賭け」公演の合間縫い注射

体よりも公演のほうが気になった。「絶対に休むわけにはいかない」

デビューしたのは1987年。それまでは別の芸名で活動し、全国を回ってレコードを手売りするなど、下積み生活を送ってきた。ヒット曲に恵まれ、賞を獲得し、NHK紅白歌合戦に連続出場をしていた。病気がわかったのは、そんな頃だった。
治療は副作用が強いうえ、完治できる保証がないことなどから、経過を見ることになった。月に1度通院して血液検査で肝機能の値をチェックした。
「ウイルスはいつ暴れ出すのだろうか」。時限爆弾を抱えているような気持ちで過ごしていた。
5年後、俳優の杉良太郎(すぎりょうたろう)さん(72)との結婚が決まった。婚姻届の提出を控え、杉さんに病気のことを伝えた。
「私ね、治療していないけど、C型肝炎のキャリアーなの。うつすことはまずないと思うけれど……」
C型肝炎は血液を介して感染する。夫婦間や母子間で感染することはまれだが、心配だった。
杉さんの態度が変わることはなかった。「人生を歩いて行くパートナーなんだから、ふたりで病気と闘っていこう」。それが答えだった。
伍代さんも「この人となら、どんなことも乗り越えられる」と感じた。
診断から15年たった2009年、改良されたインターフェロンが効果を発揮しているという情報を、杉さんが聞いてきた。「新しい薬が出て、よく治るらしい」
従来と比べて効果が長いとされるペグインターフェロンの注射と、抗ウイルス薬のリバビリンを組み合わせた治療法だった。注射は週1回で、難治性の1型でも治る確率が高まったという。
「これは勝算のある賭けだ」
伍代さんは東京大病院(東京都文京区)を受診。主治医となった消化器内科教授の小池和彦(こいけかずひこ)さん(61)から「肝炎はそれほど進行していないが、経過が長く、そのままにしていると進行していくので治療すべきです」と勧められた。
開始前に、副作用の説明を受けた。一般的に、ペグインターフェロンは発熱や倦怠(けんたい)感、関節痛などが出ることがあり、リバビリンは貧血になりやすいということだった。同年8月から治療を始めた。
注射を打つ毎週木曜日は、なんとかスケジュールを空けた。地方公演で東京へ戻れない時は、滞在先の病院で注射を受けた。
注射の後、必ず夜に39度台の熱が出た。徐々に下がって平熱に戻る頃には、次の注射の日がやってきた。めまいや貧血も起きた。それでも、いつも通りに仕事と家事をこなした。午後8時ごろには体力が尽きて起き上がれなかった。楽屋でぐったりと横になることもあった。
「病気を治すためとはいえ、こんなにつらいなんて」
自宅では杉さんが、熱でほてった伍代さんの体を冷まそうと、うちわであおぎ、足をマッサージした。苦しそうな寝顔を見ていると、「死んじゃうんじゃないか」と心配になった。

しばらくすると、副作用は歌にも影響をもたらした。

C型肝炎
C型肝炎ウイルスに感染して起こる肝臓の病気。だるさや食欲低下などの症状が出る。自覚症状がない場合も多い。治療しなければ慢性肝炎、肝硬変、肝臓がんへと進む可能性が高い。肝臓がん患者の約6割がC型肝炎ウイルスに感染しているという。国内の感染者は100万〜150万人と推計されている。

(松本千聖)

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伍代夏子の覚悟② 弱る体 副作用との苦闘

朝日新聞2016年10月4日
朝刊26ページ東京本社
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C型肝炎と診断された演歌歌手の伍代夏子さん(54)は、2009年から週に1回通院し、ウイルスの働きを抑えるペグインターフェロンの注射と、飲み薬のリバビリンを併用する治療を受けた。「仕事は休まない」と決めていたが、薬の副作用は想像以上につらかった。
特に、夏場のコンサートは体にこたえた。貧血で目の前がゆらぐうえ、おなかに力が入らず息が吸えない。ふだんなら一息で歌うフレーズも、聴き手にわからないように、こっそり息継ぎを入れた。声質を保つことはできたが、体には負担が大きかった。
見せ場となる衣装の「早変わり」のため、舞台裏を汗だくで走り回らなければならなかった。舞台の袖には、携帯用の酸素スプレーを用意した。
「あと何曲だっけ……」
それまで20曲以上を全力で歌っても疲れを感じたことはなかったのに、半分くらいで残りの曲数を数えるようになった。
夫で俳優の杉良太郎さん(72)は「調子が悪いときは、少し楽しむくらいの気持ちのほうがうまく行く」と助言してくれた。優しく歌うことで体力を温存した。
脱毛も気になった。髪がやせ、洗うとばっさり抜けた。「こんなに抜けたの」と手のひらにのせた髪を見せると、杉さんに驚かれた。髪の毛を逆立ててボリュームを出そうとしても、すかすかになってしまい、ウィッグを用意した。体重も減っていった。
C型肝炎の治療では、血液中のウイルスを完全に排除することが目標となる。伍代さんの治療期間は1年間の予定だった。だが、最初の3カ月間の治療でウイルスが消失せず、当初の予定の治療期間だけでは再びウイルスが出てくる可能性が高かった。そのため、治療期間を1年半に延長することになった。
「こんなに苦しんで、体もどんどん弱っている。半年も延びて大丈夫なのか」。杉さんから声をかけられた。「ここでやめたら今までの我慢が無駄になっちゃう。ダメ押しのためだから」と答えた。
杉さんの心配は痛いほど伝わってきた。「治ると信じて、頑張るしかない」と自分に言い聞かせた。

(松本千聖)

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伍代夏子の覚悟③ 最後の注射 夜はお祝い

朝日新聞2016年10月5日
朝刊30ページ東京本社
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歌手の伍代夏子さん(54)は、2009年8月から始まったC型肝炎の治療が、予定の1年間からさらに半年延びることになった。ウイルスが消失するまでの期間が遅かったためだ。
治療中、発熱や頭痛などの副作用に悩まされた。1年を過ぎたころからは、気分が落ち込むようになった。インターフェロンの副作用には、抑うつや不眠などの精神症状もあり、重い場合、自殺願望が生じる人もいるという。
それまで副作用も「治るためだから」と前向きに受け止めていた。だが、気持ちが沈むと、友人との約束があっても起き上がれず、キャンセルの電話すらかけられなかった。仕事はなんとかこなしても、誰にも会いたくなく、話もしたくなかった。
「失踪したい」
夫の杉良太郎さん(72)に、そうもらしたこともあった。
明るい性格の伍代さんにとっては「あり得ないこと」だった。治療を断念する人がいるのもわかる気がした。
事務所のスタッフは、伍代さんの気分の変化を注意深く見守り、気を配ってくれた。杉さんは、口数が減って、ぼんやりしたり怒りっぽくなったりする伍代さんを見守った。「『頑張れ』と言える状態ではなかった」
何も言わずにいてくれる杉さんに、伍代さんは感謝した。ただ、明るく振る舞いたくても、つらい思いのほうが勝っていた。
10年12月24日、最後のインターフェロン注射を受けた。「もう注射をしなくていいんだ。熱も出ないんだ」。もやが晴れたような気分だった。その夜は、スタッフや杉さんらとお祝いした。
気分の落ち込みは次第に改善していった。杉さんと東日本大震災の被災地に出向いて炊き出しをした。ファンクラブ会員との旅行にも出かけた。杉さんは「元気に仕事から帰ってくる様子を見るだけでうれしかった」と話す。
治療を終えて半年がたった11年6月。再びウイルスが出てきていないことが検査で確認された。
「おめでとうございます。よく頑張りましたね」
東京大病院の主治医、小池和彦さん(61)から治療の成功を伝えられた。

(松本千聖)

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伍代夏子の覚悟④ 隠さず発信 仲間励ます

朝日新聞2016年10月6日
朝刊33ページ東京本社
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2010年12月にC型肝炎の治療を終えた歌手の伍代夏子さん(54)は、仕事に一層打ち込むようになった。
その年の夏、夫の杉良太郎さん(72)が新聞のコラムで伍代さんの闘病のことを書いた。「仕事は絶対に休まない」と決めていたこともあり、それまで肝炎ウイルスの感染はほとんど知られていなかった。報道されると、伍代さんは「同じようにつらい治療をしている人に、エールを送りたい」と考えるようになった。
闘病経験をもとに肝炎検査の啓発に協力してほしいと、12年に厚生労働省に依頼され、「知って、肝炎プロジェクト」の肝炎対策特別大使に就任した。杉さんも特別参与になった。「早期発見が大事」と伍代さんが呼びかけ、杉さんも「健康は自分だけでなく家族の問題」と訴える。
病気の勉強を続けながら、ウイルスの感染率や肝がんの罹患(りかん)率が高い自治体などを訪れ、検査や治療の必要性を伝えた。
昨年7月、伍代さんは世界肝炎デーに合わせて開かれた患者団体の催しで闘病経験を語り、日本肝臓病患者団体協議会の米沢敦子(よねざわあつこ)さん(56)と対談した。肝炎患者の中には、いまだに差別や偏見に苦しむ人もいる。米沢さんは「伍代さんのように病気を隠さず発信する人の存在は、患者の励みになる」と話す。
伍代さんは同じC型肝炎だった芸能界の先輩に隠しておくべきだと助言されたことがあるという。だが、健康状態などを尋ねられれば、ためらわずに答えてきた。いまは治る病気であることや、日常生活ではうつらないことを多くの人が知れば、偏見はなくなると信じている。
近年は、タトゥーやピアスの針の使い回しが原因とみられる若年層の感染者が目立っている。もっと多くの人に届いてほしいと、ブログでも肝炎のことに触れている。「ワタクシがインターフェロンで治療した時代と違い、今や飲み薬で治る時代。早期発見のためにも、絶対検査を受けてくださいね」
今も定期的に通院し、肝臓の調子に気を配る。闘病を通して知った「思い切り歌えること」の喜びをかみしめている。

(松本千聖)

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伍代夏子の覚悟⑤情報編 一度はウイルス検査を

朝日新聞2016年10月7日
朝刊33ページ東京本社
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C型肝炎は患者の多さから「国民病」とも呼ばれている。ウイルス感染者は100万〜150万人と推計され、感染に気づいていない人が相当いるとみられる。
ウイルスは血液を介して感染する。主な感染経路は、高感度の検査が導入される前の輸血や、ウイルスの不活化処理が十分でなかった血液製剤、かつての医療現場であった注射器の使い回しなどとされている。このため、感染者は60代以上が多い。近年は、ピアスやタトゥーの針の使い回しが原因とみられる若者の感染も目立つ。
感染は血液検査でわかる。職場などの定期的な健康診断の項目に含まれていないところもあり、厚生労働省は、少なくとも一度はウイルス検査を受けるよう呼びかけている。保健所では無料で受けられる。
C型肝炎は自覚症状が乏しく、気づかないまま慢性肝炎や肝硬変、肝臓がんへと進行する可能性がある。肝臓がんは国内で年間約3万人が死亡している。肝臓がんの患者のうち約60%がC型肝炎ウイルスに感染しているという。
治療は大きく進歩している。連載で紹介した伍代夏子さん(54)が受けた治療は、インターフェロン注射と抗ウイルス薬のリバビリンの組み合わせだった。2014年から副作用の強いインターフェロンが不要な飲み薬が複数登場、公的医療保険が使えるようになった。これらの飲み薬は臨床試験(治験)では9割前後の患者がウイルスを駆除できたとされ、3カ月間の服用が治療の主流となった。
新規感染者の減少や治療の進歩で、肝臓がんによる死亡者数は減少傾向にある。日本肝臓学会理事長を務める小池和彦・東京大教授(61)は「治療の選択肢が増え、感染に気づいていない人や受診していない人がきちんと治療すれば、将来的にC型肝炎はなくしていける病気だ」と話す。
ただ、治療でウイルスが体内から排除されたにもかかわらず肝臓がんを発症したケースが報告されている。国立国際医療研究センターの考藤達哉(かんとうたつや)・肝炎・免疫研究センター長(56)は、「肝炎ウイルスが消えても、5年くらいは半年〜1年ごとにエコーなどによる画像検査を受けることが大切」と指摘する。

(松本千聖)

1. 注射で治療めざしたが

朝日新聞2016年11月7日
朝刊23ページ東京本社
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栃木県に住む農業、小野崎猛(おのざきたけし)さん(63)が体の異変に気づいたのは1990年、37歳のときだった。体がひどく疲れ、吐き気がした。農作業にも支障があった。
病院に行くと、最初は「脂肪肝」と言われた。症状が改善しないので別の病院に行き、最終的に「C型肝炎」と診断された。当時はC型肝炎を調べる検査薬が導入されたばかりだった。小野崎さんにとって、よくわからない病気だった。
医師から「C型肝炎ウイルスに感染しておきる病気です」と説明された。血液を通して感染すると聞いたが、輸血や手術の経験はない。「なぜ感染したのだろう」。全く察しがつかなかった。
そのころ2人目の子どもが生まれて、家族も増えた。専業農家として、稲作や野菜栽培を手がけ、仕事は順調で、規模拡大をめざしていた。
「ここで病気になっているわけにはいかない」と思うものの、当時はC型肝炎にすぐれた治療法がなく気持ちが焦るばかりだった。
肝臓に悪いことはやめようと、好きだった酒やたばこをやめた。友だちづきあいの酒飲みも減って寂しい思いをした。
2年後の92年、C型肝炎ウイルスを体から排除することをめざす「インターフェロン」の注射薬による治療が公的医療保険の対象となった。「家族のためにも治す責任がある」と、新しい治療に挑戦することにした。
この年の春に大学病院に40日間入院した。医療機関でも治療が始まったばかりで、注射を受ける前も慎重に、さまざまな検査を受けた。注射が始まると発熱の副作用に苦しんだが、「熱が出た方が治るのだろう」と思い込み、ひたすら我慢した。
同じ病室には、肝炎が進んで肝硬変になった患者もいた。ある日、吐血するのを見た。「ああ、治らなければ、いつか自分も」。そんな思いが頭をよぎった。
退院後も病院に通い注射を続けた。一時は肝臓の検査数値が改善したが、1カ月後には再び上昇。6カ月注射を続けたが、ウイルス排除には至らなかった。「せっかく苦労して治療したのに」。心の底から落ち込んだ。

(浅井文和)

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2. 難治型 検査数値が悪化

朝日新聞2016年11月8日
朝刊23ページ東京本社
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「C型肝炎」と診断された栃木県の農業、小野崎猛さん(63)は1992年、抗ウイルス作用がある「インターフェロン」による治療を受けた。しかし、6カ月間治療をしても、ウイルスを体から排除することはできなかった。
その後わかったのは、感染したウイルスの型によって薬の効果が違うことだった。小野崎さんのは難治とされる型だった。
肝臓の状態を示す血液検査の数値は基準値を大きく超えていた。医師からは「C型肝炎の炎症が続くと、現在の慢性肝炎から、長い年月を経て肝硬変や肝がんに移行する」と聞いた。ウイルスを排除できなくても、肝臓の状態を改善しなければ、と思った。
94年から肝臓専門医がいる総合病院に通って、肝機能改善薬の注射を受け始めた。頻度は週に3〜7回。肝臓の状態が悪くなると、回数は多くなった。検査の数値が一時的に下がっても、また上がるという繰り返しだった。結局、注射を10年以上続けた。
2005年になって、「ペグ・インターフェロン」という改良された注射薬と抗ウイルス薬の「リバビリン」を併用する新しい治療を受けた。
小野崎さんのような難治の型でも、従来の治療より効果が高いとされた。総合病院に通って週1回の注射を約1年間続けた。ウイルス量は一時的に減ったが、完全に排除することはできなかった。
治療中は気分が落ち込む副作用に悩まされた。「人と話すのがいやになって。周囲の人からも様子がおかしいと言われた」
08年には瀉血(しゃけつ)療法も受けた。注射器で1回につき200ミリリットルの血を抜く治療だった。体内にある過剰な鉄分が肝臓の細胞を傷つけるとされ、鉄分を含む赤血球を抜くことで体内の鉄分を減らし、肝臓を保護する。瀉血をした後は貧血状態で体がフラフラすることがあった。
食事に含まれる鉄分も減らすようにした。「鉄制限食」で、鉄分を多く含むレバーや、シジミなどの貝類を食べないようにした。
それだけ体に気を配っても、肝臓の検査数値は悪くなっていった。「このままでは肝がんになるのではないか」。焦りが募った。

(浅井文和)

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3. 副作用に耐え治験参加

朝日新聞2016年11月9日
朝刊27ページ東京本社
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栃木県に住む農業、小野崎猛さん(63)はC型肝炎を治すため、注射薬「インターフェロン」を使う治療を2回受けたが、ウイルスは消えなかった。新たな治療を試しても検査の数値は思わしくなく、このまま肝硬変、肝がんに進むのではないかと不安が募った。
ネットなどでつながりがある患者仲間から、国立国際医療研究センター国府台(こうのだい)病院(千葉県市川市)で新薬の治験があると教えてもらい、参加を申し込んだ。
治験とは、製薬企業が開発した薬の承認を得るため、有効性や安全性を実際に患者に使って調べる臨床試験のこと。思いがけない副作用が出るかもしれないので、経験豊かな専門医がいて設備が整った病院で実施される。
2011年、新しい抗ウイルス薬「シメプレビル」と、従来薬の「ペグ・インターフェロン」「リバビリン」を一緒に使う治験に参加した。小野崎さんがウイルス排除をめざすのは3度目の挑戦になった。
主治医の溝上雅史(みぞかみまさし)医師(68)から「あなたのように難しい肝炎患者を治すために、私たちは研究をしているのです」と聞き、信頼できる先生だ、と思った。溝上さんは小野崎さんのことを「これまでさまざまな治療を受けて、思い詰めてここまで来られていた」と振り返る。
問題は週に1回通院することと、病院の遠さだった。東北新幹線で東京に出て、JRの在来線に乗り継ぐ。通院日には朝5時に起き、約2時間半かけて通った。
副作用はこれまでよりも苦しかった。頭痛、吐き気、口の渇き、口内炎などが起きた。気分が悪くて一日中布団の中にいて、仕事にならないこともあった。近所の農家の人がトラクターで仕事に出ていくのを見ると、自分が情けなくなった。水田の作付面積を減らすなどし、収入は少なくなった。それでも、「元気になれば、また頑張れる」と自ら励ました。
治験参加は約1年間続いた。C型肝炎ウイルスの量は減ったものの、期待していたウイルスの排除には至らなかった。
だが、次の機会はまもなくやってきた。13年から、さらに新しいC型肝炎薬の治験が始まることになった。

(浅井文和)

読者編① C型肝炎「絶対に治す」

朝日新聞2016年12月5日
朝刊30ページ東京本社
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10、11月の連載にいただいたお便りを紹介します。今回はC型肝炎の闘病を連載した「伍代夏子の覚悟」に寄せられた反響です。

●母子感染、子どもと闘病
19年前、妊娠した時の検査でC型肝炎だとわかりました。それまで自覚症状はありませんでした。
子どもは男の子の双子で、帝王切開の予定でしたが、その前に陣痛が来て、急きょ自然分娩(ぶんべん)で産みました。陣痛が微弱になる難産で、多量の出血がありました。
無事に生まれた喜びもつかの間、次男がC型肝炎ウイルスに感染しているとわかりました。ショックでした。母子感染する可能性は低いと言われていたのに、なぜ子どもに、と自分を責めました。
「絶対に治す」と決意して、一緒にインターフェロン治療を始めました。しかし難治性のため、期間を延ばしてもウイルスは消えませんでした。心と体の負担に加え、助成はあったものの、2人分の治療費も結構な負担でした。
昨年から今年にかけ新薬の飲み薬を服用し、ウイルスが消えました。「必ず治る」と励まし続けてくれた小児科の先生に感謝です。
(埼玉県 女性 57歳)

●半年ごとのエコー検査、今も
C型肝炎だとわかったのは13年前、町の検診がきっかけでした。たまたま問診票に「過去に輸血を受けた」と記入したところ、検査をすすめられました。
医師には「経過観察でいい」と言われ、従いました。当時、子どもが大学、高校、中学生で、費用と生活への影響を考えると治療は無理ということもありました。
夫が定年退職し、治療に助成金がでるようになっていたので、3年半前、インターフェロン治療を始めました。注射の後には高熱が続き、副作用の味覚障害や貧血で大変な思いをしましたが、ウイルスは消えませんでした。
その後、別の病院で期間を延ばして再治療を始めました。夫が毎週、車で1時間以上かかる道を送り迎えしてくれました。高熱などの副作用は同じでしたが、今度はウイルスが消えました。肝臓がんのリスクがなくなったわけではないので、今も半年ごとにエコー検査と血液検査を受けています。
(群馬県 高橋美代子 56歳)

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読者編② 医師からの差別発言に涙

朝日新聞2016年12月6日
朝刊26ページ東京本社
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今回も、C型肝炎で闘病した歌手の伍代夏子さんの連載に寄せられた投稿を紹介します。

●治療終え口にしたワイン
昨年まで20年余りにわたってC型肝炎で闘病しました。病気がわかった時は、聞いたことがない病名だったうえ、血液を介しての感染と知って驚きました。夫や子どもにうつさないかと、不安になるばかりでした。
インターフェロン治療ではウイルスは消えませんでしたが、昨年、主治医から新しい飲み薬をすすめられました。24週間薬を飲み、2週間ごとに血液検査を受けました。8週間でウイルスが消えたという結果が出ました。経過観察を終えた後の検査でも検出されず、医師から「おめでとう」との言葉をいただきました。
今年のお盆に、親族が集まった席で拍手を送られ、ワインを一口飲みました。医師を信じ、あきらめずに治療を続けてよかったです。今、健康でいられることに感謝し、日々を穏やかに暮らしたいと念じています。
《二十余年禁酒のわれの五臓六腑(ごぞうろっぷ)一口のワインに熱く燃え来る》
(三重県 中島富子 77歳)

●27年の闘病、医師や友に感謝
50代半ばにさしかかった1989年、食欲がなく体重が減りました。受診した病院で、C型肝炎とわかりました。当時はまだ「非A非B型」と言われ、内服薬と安静、栄養が必要とされていました。原因は、山岳遭難でけがをした時に受けた輸血だと思います。
当時は肝炎に対する差別が医療現場にもありました。医師から「よほどのことをしなければこんな病気にはかからない」などと言われ、涙した日もありました。
92年にインターフェロン注射を受け、高熱が続き、心も不安定な状態になりました。ウイルスは消えず、別のインターフェロンも試したものの完治せず、思うように日常生活を送れませんでした。
昨年、飲み薬の治療を始め、今年8月についにウイルスが消えたことが確認されました。27年間の苦しみや悲しみが駆け巡りました。同じ病にかかり励まし合った亡き友や、生きる望みを何げなく与えてくれた主治医や看護師のみなさんに感謝するばかりです。
(新潟県 女性 82歳)

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